水に流す
「水に流す」って言葉が嫌い。

ここで言う「水に流す」ってのは、
喧嘩とかした後の
「嫌な事は水に流して仲良くやろうぜ」
とかいう奴。
発言者にそういう意図があるかどうかはともかく、
「なかったこと」にするっていう発想が見え隠れするから。
人間、時に意見の相違、或いは勘違いやすれ違いで仲違いする事だってある。
でも、それを「なかったこと」にするってのは
本当の意味での和解・解決ではないと思う。
それが感情であれ本能であれ、人と人は争う事もある。
それを認め、乗り越えてこそ本当の前進なんじゃないのか。
苦い経験、思い出を、今風に言う黒歴史として包み隠すのは
根本的なところから目をそむけているのだと思う。
だから、水に流すのではなくお互いを見つめ合い認識する事が
大事なんじゃないのかな。
何クサい事を言ってんだ?と思うかも知れない。
けど、過去、対立・衝突した相手は
ことごとく「その事実」を消そうとしていたのが
私にとっては非常に滑稽かつ不快であったわけよ。
事実は消えない。だからこそ
それを乗り越えていく気持ちが必要なんだと考えてる。
そういう事。

ここで言う「水に流す」ってのは、
喧嘩とかした後の
「嫌な事は水に流して仲良くやろうぜ」
とかいう奴。
発言者にそういう意図があるかどうかはともかく、
「なかったこと」にするっていう発想が見え隠れするから。
人間、時に意見の相違、或いは勘違いやすれ違いで仲違いする事だってある。
でも、それを「なかったこと」にするってのは
本当の意味での和解・解決ではないと思う。
それが感情であれ本能であれ、人と人は争う事もある。
それを認め、乗り越えてこそ本当の前進なんじゃないのか。
苦い経験、思い出を、今風に言う黒歴史として包み隠すのは
根本的なところから目をそむけているのだと思う。
だから、水に流すのではなくお互いを見つめ合い認識する事が
大事なんじゃないのかな。
何クサい事を言ってんだ?と思うかも知れない。
けど、過去、対立・衝突した相手は
ことごとく「その事実」を消そうとしていたのが
私にとっては非常に滑稽かつ不快であったわけよ。
事実は消えない。だからこそ
それを乗り越えていく気持ちが必要なんだと考えてる。
そういう事。
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